横浜みなとみらいホールは、1998年にオープンした神奈川県を代表する音楽ホールです。大ホールは観客2020人を収容できます。
大きなパイプオルガンが舞台後方に置かれ、圧倒されます。
横浜並木男声合唱団は、この横浜みなとみらいホール 大ホールで、定期演奏会を開催することにこだわってきました。
さて、その裏話とは?
1. 実は“タダ”でもらったホール?
「横浜みなとみらいホールは、横浜市に無償譲渡されました。」と聞くと、「無償?本当にタダで?」と驚かれる方も多いでしょう。実は、みなとみらい地区を開発していた企業がバブル崩壊後の経済状況の悪化で手放さざるを得なくなり、横浜市へ寄贈したのが始まりです。
豪華な設計や、壮大なパイプオルガンの設置は、普通の公共事業では実現できないものでした。その結果、日本屈指のホールが生まれ、市民の誇りとなりました。
このホールの素晴らしい音響は、アーティストの心を震わせるほどだとか。この特別な場所で、皆さんと音楽を楽しめることに感謝しています。
2. 開演ベルの「ドラ」に隠された秘密
みなとみらいホールの開演ベル、実は「銅鑼(ドラ)」の音が使われています。
「なぜ銅鑼なの?」と思われるかもしれませんが、この銅鑼はみなとみらいの象徴、日本丸から譲り受けたものなのです。詳しい説明はホール内の大ホールにありますので、ぜひ探してみてください。
銅鑼の音はチャイムやベルとは異なり、残響が少なく、演奏会の静寂な空間に自然に溶け込む音として評価されています。
3. パイプオルガンの壮大な秘密
ホールの顔とも言える巨大なパイプオルガン。そのパイプの総数、いくつだと思いますか?
実は見えている部分だけでなく、奥にも隠されたパイプがあり、全部で4,623本!
中には鉛筆ほどの太さの小さなパイプもあり、モーターで風を送り込むことで音を出します。
ちなみに、全てのパイプを同時に鳴らすことも可能ですが、「息切れしそうだ」とオルガン自身が言いそうですね。
もし弾いてみたいと思ったら、ぜひホールに問い合わせてみてください!
4. どこかで見たことがある?
「このホール、どこかサントリーホールに似ている…」と思った方、正解です。
計画段階で、日本一と称された赤坂のサントリーホールを参考に設計されたため、シューボックス型のホールの形状や、音響、パイプオルガン、客席の配置などがよく似ています。
ちなみに初代館長はサントリーホールの館長を務めていた方。佐治敬三サントリー社長夫妻が視察に訪れ、「素晴らしいホールだ」とお墨付きをいただいたことが、関係者にとって大きな励みとなりました。
5. VIPたちの来訪
ホールがオープンした際には、皇太子殿下や元首相をはじめ、数多くのVIPが訪れました。その際のSPの警護や張り詰めた空気感は、なかなかの緊張感です。
また、世界的なアーティストにも数多く出会いました。例えば、「母親思い」で知られるキーシン、サンダル姿が印象的なアルゲリッチ、繊細な目をしたポリーニなど…。皆さん、アーティストならではの個性を放っていました。
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さらに、リアルにうら話 ー横浜みなとみらいホール建設の舞台裏ー
1. バブル崩壊、その時! 危うし、みなとみらいホール
1989年、時はバブル経済の絶頂期――。
横浜博覧会が賑わいを見せる中、現在の横浜みなとみらいホール一帯の開発計画が動き出しました。未来の横浜を象徴する街づくり。その中心に据えられたのは、本格的なクラシック専用ホール。オフィスビルや商業施設の収益で、その建設費・運営費を賄うという大胆な構想でした。
大観覧車の下、砂塵が舞う横浜博跡地に立つ人々は、希望に満ちた未来を夢見ていました――そう、バブルが弾けるその時まで。
しかし、突如訪れたバブル崩壊。商業施設やオフィスが見込んでいた利益は儚く消え、開発計画は暗礁に乗り上げます。途中で「贅沢すぎるお荷物」となったみなとみらいホールは、ついに事業者から横浜市に「買い取ってほしい」と申し入れられることに。けれど市側も、あの大ホールを買い取る財政的余裕などありません。
結局、「タダで引き取って、せめて運営費は市で持ってほしい」となり、完成後にホールは横浜市へ無償で寄付され、市がその管理運営を担うことになりました。バブルの栄光と崩壊。その余波がもたらしたのは、予想外の「無償譲渡」という結末でした。
2. 逆風の中で、現場スタッフの意地
建設予定地の土地代見直し交渉は厳しいやり取りとなり、議会やマスコミの注目が集まりました。「文化事業を途中で投げ出すのか」「タダほど高いものはない」――事業者と横浜市、それぞれに向けられる厳しい批判。その中で、建設現場のスタッフと市の担当者を結びつけたのは、「ホールを必ず完成させたい」という強い願いでした。
無償譲渡が決まった時点では、建物の骨格こそできていたものの、象徴となるパイプオルガンは未設置。それでもスタッフたちは、妥協せずに最高のホールを目指しました。
工事中、あるスタッフが横浜市の職員に問いかけます。
「やっぱり、パイプオルガンも付けた方がいいですか?」
「ええ。できれば付けてほしいです。」
「そりゃ、そうですよね。」
その後、スタッフが語り始めたのは、パイプオルガンの意義。それは、完成後に自分たちの手を離れるホールへの、技術者としての矜持と熱意の表れでした。「損得を超えて、未来に残るものを」という思いが、そこにありました。
「パイプオルガンも付けた方がいいですか?」・・・それは建設費を減らすための質問ではなく、「バトンは渡すぞ。あとはお前たちに任せるぞ。」という意思確認だったと、後になって市の担当者は気づいたのでした。
3. バブルが遺した奇跡のコラボレーション
バブル経済とその崩壊は、多くの人々の人生設計を狂わせました。街づくりも例外ではありません。もしバブルがなかったら、みなとみらいホール自体が生まれなかったかもしれない。そして、バブルが崩壊しなかったら、ホールの姿は今とは違ったものだったでしょう。
現在、横浜みなとみらいホールは、世界的な音楽家によるクラシックコンサートだけでなく、地元市民による合唱祭やイベントの舞台となり、多くの人々に愛されています。民間事業者が建設に注いだ情熱と、公的運営の融合。それは「無償譲渡」という苦渋の決断が生んだ、奇跡のコラボレーションでした。
「できればパイプオルガンも付けてほしいです。」
あの時そう答えた市職員は、20年後、横浜並木男声合唱団の一員としてホールの舞台に立ちました。
あの頃の未来に、僕らは立っているのかな。
横浜みなとみらいホールには、バブルに翻弄された多くの人々の夢が、今も静かに息づいています。
(横浜みなとみらいホールの歴史はこちら)
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ついでに もう一つうら話 ー初めての横浜みなとみらいホール 大ホールー
横浜並木男声合唱団が、初めて横浜みなとみらいホール 大ホールで定期演奏会を開催したのは2003年3月の事でした。第3回定期演奏会として、ラテン語の宗教曲、男声合唱組曲、オペラ、アニメヒーロー伝説という、現在の横浜並木男声合唱団につながる、幅広い楽曲にチャレンジしていました。
横浜市の合唱祭である、ヨコハマ・コーラルフェストはすでに横浜みなとみらいホールで開催されていましたが、当時、単独の合唱団が横浜みなとみらいホール 大ホールで演奏会を開催するケースはほとんどありませんでした。
その頃の横浜並木男声合唱団(当時は「並木男声合唱団」)の知名度は低く、1年半前に行われた抽選会で、「合唱の演奏会を大ホールで?並木男声、聞いた事ないですけど?2000人のホールですよ!小ホールの間違いじゃないですか?」とホールの職員からアドバイス(?)を受けたとか。
蓋を開けてみたら驚くほどの集客・大成功で、そこから一目置いてもらえるようになり、その後は、毎回、横浜みなとみらいホール 大ホールで定期演奏会を開催するようになりました。今回で、11回目の横浜みなとみらいホール 大ホールでの定期演奏会となります。
もし、アドバイスに従って「やっぱり無理ですよね」と引き下がっていたら、現在の横浜並木男声合唱団は無かったでしょう。勇気を持ってチャレンジした先輩方に感謝です。
歴史に思いを馳せて、先輩たちの夢を引継ぎ、第13回定期演奏会を成功させたいと思います。